2006 10 ≪  11月 123456789101112131415161718192021222324252627282930  ≫ 2006 12
スポンサーサイト
--/--/--(--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
この記事のURL | スポンサー広告 | ▲ top
エコグラムによる性格診断
2006/11/04(Sat)
 磯野さんのところで「エコグラムによる性格診断」というものをやっていたので、自分も挑戦してみた。
この記事のURL | ひとりごと | CM(8) | TB(0) | ▲ top
私の高校
2006/11/05(Sun)
 えーちゃんから回ってきていたバトンを忘れてた。ごめん!
この記事のURL | ひとりごと | CM(6) | TB(0) | ▲ top
おしゃれと現実
2006/11/06(Mon)
 爪に塗り絵をしたら、食器を洗っている隙に先っぽが禿げてしまった。オシャレと家事は両立しないのか、ちょいと不愉快。
 最近は珍しくスカートなんぞを履いてもみるのだが、こいつも曲者。足はスースーするし、動きづらいし。トイレの時に楽である以外、 何らいいことはない。
 いろいろあって、最近シューズからパンプスに切り替えているが、こいつもねぇ。走れない。肝心なときに走れない。
 他所行きの時は口紅だって塗るものの、これもすぐに落ちちゃうんだよね。なんだかなんだいって、落ちちゃうんだよね。で、事あるごとに塗り直す。非常に面倒。
 オシャレって面倒だな。と思うこの頃。
 しかも、オシャレって始めたらキリがないんだよね。
 髪型を変えてみた。可愛いアクセサリーが欲しくなった。
 新しいジャケットを買ってみた。ブーツ買いたくなった。
 口紅の色変えてみた。アイシャドーも変えたくなった。
 際限ないなぁ、と思う。
 現実を見たら、会社でオシャレをする意味はあんまりないし、外に出て付き合う人たちに向けてオシャレしてもねぇ。飲んで騒いでハイさようなら、だからなぁ。
 結局、私にはジーンズ履いて上着羽織っているのが一番楽かもな。これが現実。
この記事のURL | ひとりごと | CM(10) | TB(0) | ▲ top
またもやバトン
2006/11/07(Tue)
 たまたま立ち寄ったさまじさんのブログ「アホに生きる!!」で、回ってきてしまったバトンです。
この記事のURL | ひとりごと | CM(2) | TB(0) | ▲ top
忘年会
2006/11/09(Thu)
 先月の終わりに、くじぃやYちゃんと印西牧の原でデートをしようという約束をしていたのだが、都合が悪くて私がドタキャン。
 で、やり直しをしたいのだけれども、Yちゃんの都合が悪い。
「いっそ忘年会する?」
 となった。なんとなく、道頓堀デートの予感。

 私はいつでも暇だからOKです。
 というか、今度はドタキャンしません。すみません。
この記事のURL | ひとりごと | CM(7) | TB(0) | ▲ top
キャッチボール
2006/11/12(Sun)
 コミュニケーションのあるべき姿は、キャッチボールに似ていると思った。それは決して野球ではない。
 野球の場合、ことに投手と打者との関係の場合、投手はストライクを狙って球を投げる。打者が打てないように、塁に出られないようにと球を投げる。これがもしもコミュニケーションだとしたら、それは一方的で独りよがりの会話をしようとしているのと同じ。だから、時にボール球や死球といった的外れな球を投げることになる。
 それに対して、キャッチボールは続かなければ意味がない。相手が球を受け取り、また投げ返す。これができなければ成り立たないもの。
 例えば、父親が5歳の息子とキャッチボールをするとき、父親は自分の持てる力の限りを出し切った球なんて投げるかしら? きっと、息子の能力に合わせて、息子の受け取れるよう加減された球を投げるはず。反対に、息子が投げ返してくる球がどれ程へなちょこでも、父親はしっかりと受け止める。コミュニケーションが第一に思いやりから成り立っているのは、きっとそんなところにあるのだろう。そして、父親は言う。「次はこうやって投げてごらん。そうすれば、もっと上手に投げられるよ」
 “聴く”ということ。
 それはまず、相手を受け入れることから始まる。相手の言葉・態度、全身全霊をかけて受け入れる。あたかも相手になったつもりで、相手と気持ちを共有して、相手を受け入れる。
 “訊く”ということ。
 それは、相手に興味を持つということ。もっともっと相手を知りたいという気持ちを、相手に投げること。そして、君の気持ちはきちんと受け止めているよ、きちんと聴いているよ、だからもっと話してごらんよ、もっと教えてよ、と態度で示すこと。
 聴く態度を示さない人には話しかける気にもならない。態度だけ立派でも、実際に聴いていない人は信用できない。しっかりと向き合い、しっかりと聴いてくれる人、そんな人にこそ話す価値がある。
 “伝える”ということ。
 それは、説得ではなく、納得の過程。聴いて、訊くことで、お互いが問題に気付く過程で生まれるもの。的確なアドバイスとなって具現化するもの。
 父親は息子を受け入れ、息子は父親に応じる。キャッチボールは連綿と続き、しかもそのレベルは向上する。キャッチボールもコミュニケーションも、そうやってどんどんと深まっていくもの。だから、この二つは似ているのだと思った。
この記事のURL | ひとりごと | CM(6) | TB(0) | ▲ top
駅のホームで
2006/11/13(Mon)
 表参道駅のホームで電車を持っていた。
 夜の7時くらい。珍しく早い時間だった。
 顔全体を真っ赤にして、フロックコートを着た男性がひとり、キオスク裏のベンチに座っている。
 叫んでいる。ずっとずっと叫んでいる。
 とてもつもない早口なのと、呂律が回っていないのとで、何を言っているのかはまるで聞き取れない。
 けれども、辛うじてこの言葉は聞き取れた。「だからおまえら」「定年退職まで」
 その人は、私がいつも電車を待つ位置の、ちょうど真後ろに座っていた。
 だから、私は無意識のうちに場所を移して、ベンチからずっとずっと遠い位置に並んで電車を待っていた。
 その人は、とめどなく叫び続けていた。
 電車がホームに入ってくる。
 その人の声が1トーン高くなった。どんどん大きくなる。
 けれども、同じことを繰り返している。
 電車が止まる。
 叫んでいる。
 扉が開く。
 彼はまだ叫んでいる。
 私はほんの少しの間、考えた。この電車に乗るのかな。
 扉が閉まる。
 彼の扉も、急に閉じた。電車には乗らなかった。
 電車が動き出す。
 彼はベンチに腰を下ろしたまま、じっと正面だけを睨んでいる。やがて、その人の姿は私の目の前から消えていった。

 電車に乗らないのかな。
 家に帰らないのかな。

 静かになった空間の中で、ふっとそんなことだけを考えた。
この記事のURL | ひとりごと | CM(4) | TB(0) | ▲ top
逃亡者(のがれもの)おりん
2006/11/17(Fri)
 「文化の日」だった金曜日は、何事もなく仕事はお休み。そして、その翌週の金曜日も諸事情で有給を取得した。そんなのんびりな週末にたまたま見たのが、『逃亡者のがれものおりん』。
 青山倫子が格好いい。演技は下手だが。
 安上がりのドラマで、内容も演技も構成も悲しいほど安上がりだが、ヘタなドラマやバラエティーを見るよりは断然楽しめるので、意外とお薦め作品。(最近、この手の安上がりドラマが私のヒットかもしれない。『ドクター・フー』も相当安上がりだから)
 残念なことに金曜日の比較的早い時間帯に放映しているので、仕事がある日は見られない。きっと今日も、来週も見られないのだろうなぁ。残念。無念。
 ・・・それにしても、宅麻伸はイイね。シブいね。シビれるね。
この記事のURL | ひとりごと | CM(0) | TB(0) | ▲ top
輝ける瞬間
2006/11/18(Sat)
 文系に限った話だが、私の母校は学年でキャンパスを分けていて、1・2年は和泉、3・4年は御茶ノ水、という具合に通い先が変わる。今でも御茶ノ水に顔を出す機会は多いのだが、こちらのキャンパスは何というか、所謂オフィスビルのようで、人が一般的にイメージするような「大学らしさ」というものがない。返って和泉のキャンパスの方が、学生らしい学生ライフを送れる環境が整っていたように思う。
 こんなことを書き出すのは、たまたま縁あって日大理工学部のキャンパスに行く機会があったから。学園祭ではない。普通に大学に行って、普通に校舎の中に入って、普通に試験を受けてきた。ただそれだけのこと。
 けれども、敷地の中に校舎が点在して、木々が植えられて道が整えられている。
 野球場からは練習の声が響いてきて、晩秋の風に木の葉が舞う。
 それだけで和泉が懐かしくなった。
 加えて校舎の中。茶色い長机。机の前にくっついている椅子。倒して座るのだよね。懐かしいなぁ。
 和泉に通っていた頃、私はマンドリンのサークルでセロを弾いていた。ボックスと呼ばれた部室はAV棟すぐ脇の校舎1階。行くとなぜか、いつも日本酒の瓶が置いてあったのだっけね。酒をちびりちびり、セロを片手に鼻唄を歌う。今にして思えば、もったいないほど贅沢な時間。
 同じ校舎ではドイツ語の講義があった。そうそう、この校舎でなぜか、体育の時間を俳諧に費やしたんだな。
 AV棟では、暇な時間で映画を見ていたね。
 「先生ステキ♪」と末尾に書けば「優」をくれるというから履修した「美男論」の講義は、当時最も新しかった1号館で。ゲイのくせにダンディーな教授は当時、サッカーの稲森にお熱。今は誰にお熱なのかな? この1号館で受けた英語で思い出深いのが、先生が授業中に大熱唱したこと。学生は大爆笑。
 今でこそ立派な校舎に生まれ変わってしまった2号館。当時はどこよりもオンボロで、いつ壊れるかとヒヤヒヤものだった。ここで一番思い出深いのは刑法総論か。教授が突然、「君たちの目は輝いている!」と言い出して、「だから私はこの大学を愛している」と結んだあの講義。ちょとびっくりだったけど、感激だった。
 夜に特別講義があって、それを受けていると、突然どこかで発声練習が聞こえてくる。のびのびとしたその声の主が誰だったのか、最後までわからなかったけれども。
 こうやってつらつらと思い出のアルバムを紐解いてみると、自分がどれほど美味しい時間を無意味に過ごしてきたかがよくわかる。
 もっと真剣に大学に通っていたら良かったな。
 もっと真面目に勉強していれば良かったな。
 そうしたら、もっともっと沢山の思い出が作れたのにな。
 今大学に通って学生をやっている人は、最高の時間を過ごしていると思う。私もできれば戻りたい。けれども、時間は前にだけ進んでいるから、それに逆らう気は私にはない。進んできた道を礎に、その先の道を探すつもりでいる。
 けれども、思うのだね。だからこそ、思うのかもね。
 今できることは、今しかできない。
 だから、一生懸命遊ばなきゃダメだし、一生懸命勉強しないとダメなんだ。汗かいて、ベソかいて、がむしゃらに生きてこないと、過去も未来も輝かないんだってね。
この記事のURL | ひとりごと | CM(5) | TB(0) | ▲ top
やりたいこと①
2006/11/19(Sun)
 ブログとミクシィ日記の分割。
 最初の頃はブログもミクシィ日記も別々に書いていたのだけど、大概同じことを書いているので・・・と合併させてからもう久しい。そろそろまた、元のように分割させたいと思っている。
 ただ、また前のように同じことを書いていたら面白みに欠けるので、ミクシィ日記はミクシィ日記で、別のことに利用するつもり。
(ブログはこのままの路線で突っ走る)

 ・・・というわけで、予告。

● 12月、ミクシィ日記のリニューアル

 さて、やるか。
この記事のURL | ひとりごと | CM(4) | TB(0) | ▲ top
やりたいこと②
2006/11/20(Mon)
 WEBサイト「Piece Space」の復活。
 いや、これはもう、ないな。
 ずっとずっと復活させたいとは思っているのだけれども、復活させたらさせたで、またメンテナンスが大変なのだよね。今や自己主張はブログで十分。
 それじゃあ、何がしたいのかって?
 やろうと思っているのはこれ。「クリスマス小説」の復活。
 WEBサイトを運営していた頃は、クリスマスにそれ用のSSか短編をプレゼントしていたのだな、これが。まともにサイトを運営していた学生の2年間はきっちり出していたのだけれども、社会人になってから全く書けず、サイトも運営せず、の状態が続いている。(サイトは今年になって閉鎖した)
 去年はそれでも「クリスマスくらいは」と思っていたが、結局未完成。
 今年こそは何か書こう。リハビリと思って、書こう。
 ・・・というわけで、予告。

 12月24日に、2006年版のクリスマス小説をアップするぞー。

 場所はこのブログ上。HTML文書が貼り付けられたはずなので、きちんと装飾施してアップします。
 合わせて、過去のクリスマス小説もアップする予定。
 もちろん、予定は未定・・・。(おい!)
この記事のURL | ひとりごと | CM(3) | TB(0) | ▲ top
半落ち
2006/11/21(Tue)
作者:横山秀夫

 最後に「完落ち」したのは梶ではなく、私だったのかもしれない。
 梶と私が「完落ち」するまで実に10ページにも満たないくせに、この10ページには生の芽吹きを感じた。
 『半落ち』という表題は、非常に良くできていると思う。最後に「落とす」この手のパターンの作品は数多く読んできているが、それでも『半落ち』という表題が、実によく作品を言い表している。何しろ「半落ち」なのだ、梶も私も。ずっと「半落ち」のまま物語が進行する。
 作品は、アルツハイマー病の妻を嘱託により殺害した現職警官(梶聡一郎)を巡る物語。妻を殺害した2日後、梶は自首をする。しかし、殺害後自首するまでの2日間、彼が一体どこで何をしていたのか、梶自身は頑なに供述を拒む。そしてこの2日間が、周囲を巻き込んだ騒動となる。
 その進行はバトンリレーの形式だ。
 最初は、取り調べに当たった志木和正。続けて、検事の佐瀬銛男。記者の中尾洋平。弁護士の植村学。判事の藤林圭吾。最後に、刑務官の古賀誠司。
 時間軸の進行するなか、それぞれが、それぞれの立場から梶聡一郎を眺め、評価する。作中「ベルトコンベアー」という表現が登場するが、まさに、そのベルトコンベアーに乗って、その時その場にいるべき人間によって、梶が語られる。その構成は見事だと思った。加えてそれぞれの立場を代表する人間が抱える闇への言及。脱帽である。
 けれども、と付け加えるならば、どうにも最後の10ページ以外は面白みに欠けるのが悲しい。どうにもレトリックと知識を駆使して作文しました、という感がある。新聞の記事を読んでいるような感覚だ。だから、読者の私はずっと半落ちのまま、「うーむ」とページを捲ることになる。
 しかしまあ、最後で落とされたわけだし、まぁ、いいのか。

「誰のために生きているか」
 問いかけられたら戸惑うだろうな、私は。
 誰のために? そもそも、自分のために生きている、とさえ胸を張って答えられない。
 それだったら何のために生きているのだろう。私は。
 答えがないのだな、今のところは。
 ただ何となく生きている。そんな毎日なのだから。
この記事のURL | | CM(0) | TB(0) | ▲ top
夏休みの終わりに
2006/11/22(Wed)
 係のメンバーが全員帰ってしまって、これまたどうしたことか珍しく私だけが会社に残っていた日。(日中遊びすぎて仕事が終わらなかっただけだけど)
 これまた珍しく課長が遅くまで慌ただしそうに仕事をしている。
 どうした?
 なんて思っていたら、「エハリさーん!」といきなり情けない声で呼ばれた。
 いやいや、追加のお仕事はカスタマイズです。手伝いませんよ。
 なんて言おうとしたら、課長は困ったように
「明日の研修の準備が終わらない・・・」
 と言う。こっちは苦笑。
「8月31日に夏休みの宿題をやっている小学生みたいですね」
 なんて、冗談で返してみた。すると課長は、
「するだけそれは偉い。今ねぇ、宿題ができなかった理由を一生懸命考えているんだよね」
 だってさ。

 夏休みの宿題。
 清々しい気候のこの時期に「夏休みの宿題」というと季節外れも甚だしいが、どうみても課長のあの様子は、「夏休みの宿題」。
 小学生が懐かしい。
 だって、小学生まではまともに宿題をしようと努力していたものね。私。
 7月には大半の宿題が終わっているか、準備が終わっていて、8月はただ遊ぶだけ。ただし「日記」だけはどうにも苦手で、8月31日にバッチ処理。
 新聞をひっくり返して天気を調べ、あることないことを徒然に書く。とにかく書く。
 「創作日記」というのがあるでしょう?
 私の夏休み日記は、完全に「創作」の産物だった。
 今にして思えば、「あった」ことを書くより「あったら面白い」ことを書く方が、断然面白いのだよね。だから私は、今でもエッセイを読むよりはノベルを読む方が好き。(もっとも、最近はノベルを書くよりはエッセイを書く方が好き)
 三つ子の魂なんていうけれども、幼い頃好きになったことって、結局今でも好きなのだろうね。小説が好きだったり、時代劇が好きだったり、寺が好きだったり、城が好きだったり、ぼーっとしていることが好きだったり、ひとりが好きだったり。私は昔から、そういうことが好きだったかな。
 少し話がそれたので戻すけれども、夏休みの宿題。
 ときどき、それを「泥縄」の意味で使っている自分がいる。「泥縄」なんてもう古い言葉だよね。「夏休みの宿題」って、実感が沸いて好きだなぁ。
この記事のURL | ひとりごと | CM(0) | TB(0) | ▲ top
麦の海に沈む果実
2006/11/23(Thu)
作者:恩田陸

 北海道のとある湿地の上に築かれた謎の学園を巡る物語。
 主人公の理瀬は、普通であればありえない時期にその学園に転入し、生徒の失踪、殺人事件に巻き込まれる。そして、最後に「自分を取り戻す」。

 最初のページで、この人肩に力を入れて書いているな、と思った。
 真ん中ぐらいで、展開が見えてしまった。
 最後の瞬間に不愉快になった。
 私の読んでいる『麦の海に沈む果実』を見て、どうちゃんが
「問題の恩田陸ね」
 と言う。全く詳しくないので、
「この人すごいの?」
 と返したら、どうちゃんは、
「ま、いろいろね」
 と。
 どう問題なのかわからないけれども、私はこの人が苦手だと思う。この人は受け入れられない。何かが消化不良。
 サスペンス?
 ファンタジー?
 中途半端な気がする。ストーリーの所々に散りばめられた鍵が、扉を開けることなく放り出されているような気がする。
 だから、不愉快。
 小説の文面はわかりやすいし、読みやすい。理解できなかったわけでもなく、面白いとも思う。実際に小説自体は面白い。
 けれども、何かがおかしい。
 サリンジャーを読んだときもこんな気分になったのだけれども、なんかね、消化不良。
この記事のURL | | CM(2) | TB(1) | ▲ top
忘年会シーズン
2006/11/25(Sat)
 クリスマスか、忘年会か。
 色気のない自分は、この時期のメインイベントは「忘年会」。クリスマスを楽しむのは1度きりだけれども、忘年会は何度でも、誰とでも楽しめるのがいい。
 先だって、システムの女性社員限定(パートさんも参加)の忘年会をしてきた。有機野菜の料理がバイキング形式で、しかも格安で楽しめるオシャレなお店。
 何とか、という女優さんが隣に座っていてみんなが大興奮していたのに、私ひとりで、その人が誰だかがわからず悔しい思い。芸能に興味がないって、これだからダメなのだね。あーあ、サインのひとつでももらっておけばよかったなって思う。確かに、ほっそりとしていて本当に綺麗な方でした。女優ともなると、我ら庶民とは輝きが違うのだよ。これは本当。
 この忘年会を実行したのは、飲む気のない酒を飲んで、終電を逃した日の翌日。当然家に帰れず、服も前日のままで出社したので、問いつめられる問いつめられる。恥ずかしい。
 ただT中さんに至っては、この頃の私の様子がおかしいことは気付いていたらしく、語らずとも察していたみたいだった。というより、ばれている。
 その人に対しての態度だけが異常なまでにオロオロしていたから、誰が見ても「何かあった」ということがわかっちゃったのかもしれない。まいったなぁ。穴があったら入りたいよ。
 ただまぁ、女だけでわいわいと楽しんで、心が少しだけ軽くなった。
 その翌々日は1・2年合同のシステム同期忘年会。
 こちらはキングの計らいでがやがやと楽しいひととき。ビンゴゲームをして、8等のペン立てを当てたのだけれども、早速妹に横取りされちゃったよ。あはは。
 そんなこんなで、来週は大学の忘年会だ。これも懐かしい先生に会えるのが楽しみで仕方ない。
 今年は、忘年会を大いに楽しもうと思う。

 ただね、8日の日にある忘年会だけは、サボろうと思っている。今のプロジェクトメンバーでやる忘年会。参加の意思表示だけはしてあるけれども、これだけは行かれない。
 絶対に行かれない。
この記事のURL | ひとりごと | CM(3) | TB(0) | ▲ top
新たなる春 始まりの書 上 NEW SPRING
2006/11/25(Sat)
時の車輪外伝
作者: ロバート・ジョーダン Robert Jordan
訳者: 斉藤伯好

 『麦の海に沈む果実』もそうだったが、これまた入社前に買っておきながら、今の今まで放置していた本。ようやく読んだ。
 この本を購入する少し前に、『伝説は永遠とわに③』を購入して読んでいる。何故かというと、『新たなる春』が短編として収録されていて、しかも「若かりしラン様が活躍なさる!」ということだったので。ラン様贔屓の私としては、これは「読むしかないでしょう」と買った。(ラン様目当てだったので、結局他の短編は読んでいない)
 さて、本書『新たなる春 始まりの書』(上下巻)は、『伝説は永遠とわに③』に収録された同名の短編を長編に直したもの。(だと思う。)
 舞台はアイール戦争の末期。候補生のモイレインとシウアンは、偶然にも記録管理者ジタラが<竜王の再来>を予言する場に居合わせる。そして、<竜王の再来>を探す旅を決意したモイレインは、見事に昇格試験に合格し、めでたく異能者アエズ・セダーイとなる。
 上巻はここで終わってしまうのだが、この辺りのシーンは短編にはなかったもの。短編はラン様とモイレインが出会うところからだし。ただし、「ラン様命!」の私としては、モイレインばっかり目立っているのでちっとも面白くありませぬ! 下巻に期待だな。
 内容はもう、目新しさ無し。
 時シャリの1ファンとして楽しめるものの、知らずに読んだら面白くないこと間違いない。自分も、惰性で読んでいる気がしないでもない。外伝よりも正編の方が面白いということかもしれないが。
 ま、モイレインを池に放り投げるラン様が下巻ではお目にかかれるはずなので、とりあえず下巻に感想はお預けにしましょうか。モイレインがどうやって、女王にさせられそうになるのを回避したのか、そのあたりも気になるところです。
 それにしても、どうしてシウアンはアミルリン位になった際にモイレインを記録管理者にしなかったのだろう。こんなに仲がいいのに。フシギだなあ。
この記事のURL | | CM(0) | TB(2) | ▲ top
何かしたくて
2006/11/26(Sun)
 失恋したら髪を切るって、案外嘘じゃないかもね。
 どうにも気持ちが落ち着かず、何とかしなければ、とひとりごちる。生憎の天気で、ますます落ち着かない。何かしなければという気にもなる。
 買い物をして散財するのも最初の頃は良かったのだが、最近はどうにも慣れきってしまって、悲しいことに気分が晴れない。もともと所有欲の強い方ではないので、買い物で何かを手に入れても、結局は面白くもなく不要なものばかりが増えていくだけ。
 髪でも切ってみようか、とふと思った。
 ウェーブをかけて以来行っていないし、丁度いいから髪を切ろう。ばっさりとね。
 そう、ばっさりと切った。セミロングからマッシュルームに変身。
 ・・・で、気分は晴れた?
 うーん、特に何の変わり映えもないなぁ。
「かくら、あんた失恋したんだよ!」
 なんて自分に言い聞かせているのが効果薄なのか、それとも逆効果になっているのか。認めているのに、認めたくない。自己矛盾を抱えたままで、この「もやっと」が非常に憂鬱だ。
 けれども明日は笑顔でみんなに会えますよう、頑張ります。案外、人に会ったら何とかなるもんだ。
この記事のURL | ひとりごと | CM(4) | TB(0) | ▲ top
理想の人
2006/11/27(Mon)
 相当タイムリーにこんなバトンが回ってきた。
この記事のURL | ひとりごと | CM(4) | TB(0) | ▲ top
新たなる春 始まりの書〈下〉 NEW SPRING
2006/11/30(Thu)
時の車輪外伝
作者: ロバート・ジョーダン Robert Jordan
訳者: 斉藤伯好

 下巻は、『伝説は永遠とわに③』に載せた同名の小説と内容はほとんど同じ。
 相変わらず、ラン様がステキ!!
 そして、ラン様にちょっかいを出すモイレインが可愛い。こんなにもお茶目なモイレインが、正篇では落ち着いた女性になってしまうのかぁ、と歳月の流れを偉大に感じる。そして、シウアンには苦笑。
 モイレインといえば、正篇ではアル=ソアのアホンダレのおかげで命を落としてしまう(いや、きっと生き返ってくれると私は信じている!)のだが、今にして思うと好きなキャラだったかな。
 ラン様は、文句の付けようがない。
 正篇では圧倒的な強さを発揮しているけれども、外伝ではやはりまだ若いからなのか、護衛士としての絆を結んでいないからなのか、「圧倒的」とまでは言えないところが淋しい。最初の異性カーネイラのくだりは・・・ナイニーブが知ったら猛烈に嫉妬するだろうなあ・・・(笑)
 とにもかくにも、外伝をようやく読み終えた。さぁて、10巻を読むぞ~!
この記事のURL | | CM(2) | TB(0) | ▲ top
| メイン |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。