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黒ひょうですが
2006/10/01(Sun)
 高校時代に大流行(?)した動物占い。懐かしさも手伝ってか、会社では今ちょっとしたブームになっている。
 私のマスコットは黒ひょう。流行にとても敏感で、その分飽きっぽい性格なのだとか。確かに飽きやすい性格であることは認めるが、なんとなく納得がいかないものがあったり。

 話は変わって、今日、ケータイをどこかにやってしまったので、「鳴らして探そう」と別の電話からコール。残念なことに電源が入っていなかったらしく、流れてきたのは、「こちらは、ソフトバンクです・・・」
 私が今持っているケータイには「J-PHONE」のロゴがある。
 月の基本料は2,980円。(デイタイムパックライト)
 オプションで、「J-YEAR」と「J-ファミリー」に加入。
 いずれも廃止されていて、もはや店頭では加入できないサービス。ヴォーダフォンから再三プランの見直しを勧める案内をもらっていたにもかかわらず、未だに元のまま変えていない。
 気付けばキャリアがボーダフォンから「ソフトバンク」に変わり、サービスもどんどん変わっていくのに、手元のケータイだけは古いまま。先月の請求額は、なんと2,500円だった。
 学生時代に、「ドコモ」と「au」と「Jフォン」を較べて、自分にとって最適なキャリアを選んだつもり。ケータイなんて通話とメールの機能だけで十分。ゲームはPCでダウンロードするし、音楽だってMP3がある。(そもそも、ゲームなんぞをしすぎて電池が切れたら、肝心なときに電話が出来なくなって大変だよ!)
 だから、どうにもケータイのサービスには興味をそそられない。確かに、今はウィルコムのW-ZERO3には惹かれているけれども、これだって、W-ZERO3でやろうと思っていることはPCでもできるし、維持費を考えれば強いて手を伸ばすほどのことでもない。(まだ悩んではいるけれども)

 それでも私は、流行に敏感ですぐに飛びついて、ちょっと遊んだら飽きちゃって…の黒ひょうかしら? そんなことを思いつつ他のマスコットも見てみる。
 多かれ少なかれ、自分に当てはまるのだよね。
 玉虫色の占い。
 占いって、そんなものなのかな。だから、生年月日や血液型や、性別ではじき出された結論がすべてではない。そんなことで自分も、他人も判断したら大変だ。ネタにはしてもいいけどさ。
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諭されて
2006/10/02(Mon)
 もっと前から何かがあったはずなのだけれども、とりあえず今は覚えていない。
 確かなことは、近所のイトーヨーカ堂に私はいた。それも、閉店してしまう前のイトーヨーカ堂H店。けれどもフロアを横切る間に知らない場所に様変わり。2階であることだけを私は知っていて、「ひどいな」と感じる。
 2階から3階へ。
 母と待ち合わせる。母も、同じく「ひどいね」と言う。そしてすぐに、
「あんた、言ってやってよ」
 と私を促す。私は渋るのだけれども、「言ってよ、言ってよ」と言われて2階へ戻る。すると、そこはイオンK店のサニタリー売り場へと様変わり。
 商品が床にも散乱していて、棚に残った商品も尽く並び順が違う。私は店員らしき女性に言う。
「ひどいですよ」
 すると、店員は言った。「どうして?」
 私は一瞬ひるむ。「どうしてって、ひどいじゃないですか」
「そうですか?」
 と店員は言う。「お客様は忙しいのです。商品を手に取られます。別の商品をまた手に取ろうとしたら、今持っているものをその場に置くのは当然です。それを片付けるのが私たちの仕事です」
 その後、場面は変わってしまったのだけれども、特に書くことでもない。
 
 はっと目が覚めたときに、とりあえず店員に「もう少し物わかりのいい大人になりなさい」諭されたことだけはわかった。けれども、どうにも納得のいかない夢だった。
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その値段
2006/10/03(Tue)
 それが御法度であることは重々承知の上で、はい質問。

「あなたなら、いくらで臓器を売りますか?」

 いやいや、そんなことを訊く前に、まずはこう尋ねるべきか。

「私なら、いくらで臓器を売るかな?」

 まず100万円じゃ、安い。
 けれども、1億積まれても考える。

 今は私の腎臓は元気でさ、1個くらいあげたってどうってことはないけどさ、後々になって自分の腎臓がダメになっちゃったらどうしよう。
 今は私の肝臓は元気だからさ、ちょっと分けてあげても大丈夫だけど、その後にダメになっちゃったらどうしよう。
 根が小心者なので、やっぱり売りたくないな。私の臓器。どんなにお金を積まれても、イヤだな。
 これが自分の大切な家族なら、話は別だけど。自分の子供にならあげてもいいと思うし、妹にも、親にも、やっぱりあげてもいいと思う。
 本当に大切な人のためにあげるのと、売るのとじゃ、絶対に違うよね。
 脳死したらあげる、のとも違うよね。
 どうせ自分は死んじゃうし、私の臓器が誰かの役に立つなら、あげたっていいよ。でもやっぱり、生きているうちで、よく知らない他人のためには、提供できないよ。

 ちょっと気になった腎臓有償提供のニュース。でも、あのニュースって聞いているとちょっと腑に落ちない。
 借金している相手が、「上乗せして返してあげるから、腎臓頂戴」って言うんだものね。普通、返してくれないと思うよね。というよりは、腎臓あげたら返すって、おかしいよね。ホントに変だよね。
 しかも、腎臓あげて戻ってきたのは「車と現金30万円」。借金をチャラにもできていない挙げ句に、腎臓が1個なくなってしまった。情けない話だ。
 けれどもね、逆のパターンってどうなのだろう。
「金が返せないなら、腎臓よこせ」
 そんなことが、今もどこかで、誰かが……。
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美しさ
2006/10/04(Wed)
「憲法を改正する」とか、「美しい国、日本」とか、はっきり言って興味がない。
 今の平凡な毎日。
 退屈で窮屈で鬱屈のたまる毎日が、それこそ平凡に過ぎ去ってくれさえすれば、多分私は満足なのだと思う。この平凡な人生の中にちょっとくらいの波風が立てば、それはそれで面白いなと思う。そんな程度の冒険でいいのかな、私は。
 そんなつまらない人間が、つい先だって憲法の前文に掲げられた1文を見て、なんとなく感じたことをひとつ。

その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する


 リンカーンであれば、「of the people, by the people, for the people」と、昔の書物を引用して言うところ。けれども、こんな直接的な言い方より、憲法に掲げられた“理想”の方が、私は良くできた文章だと思う。
 日本は美しい国なのか。
 そんなことは誰に聞いたってわかるわけがない。そもそも、「美しいってなんだ?」と聞かれたとき、その基準が誰にも明確ではないから、それぞれがそれぞれの「美しい」で物事を判断する。そしてまた、「国ってどういうことだ?」と聞かれたとき、これまた個々人が勝手な判断で「国」なるものを定義する。
 政治から見た国なのか。
 自然から見た国なのか。
 環境から見た国なのか。
 文化から見た国なのか。
 「美しい」という言葉も同じだ。よくわからない。だから、多分あの所信表明演説を聴いても、「ふーん」としか感じなかったのだと思う。それが「美しい」国の定義でいいのか、よくわからない。
 でもね。
 少なくとも、私は「日本語」って「美しい」言葉だと思うんだ。同じことを言っていても、「of the people, by the people, for the people」と言われるより、「その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」と言われる方が、ずっと好きなんだ。
 それは確かに、何かを基準にして「世界語の中の日本語」を研究したら、日本語は「美しい」言語ではないかもしれない。それでも日本語が美しいな、と思えるのは、きっと私の育った風土になじんだ言葉だから、美しいのだろう。
 異国の「詩」だって、きちんと韻を踏んで、言葉を選んで、耳に心地よいように作ってあるけれども、日本の言の葉で作られた詩の方が、ずっと心にしみ通る。ゲーテを読んでも、シェイクスピアを読んでも、結局技巧的なことしかわからなのだよね。
 言葉というものは、違うな、言語というものはそういうものかもしれないね。結局、馴染み育った国の言の葉が、一番だと思わせる魔力がある。
 横文字を散りばめた文章は、確かになんとなく知的な装いがある。横文字をばらまいた詩は、ナウい感じでいいかもしれない。でもさ、忘れちゃうんだ、結局他人の国の言葉だから。
「A rolling stone gathers no moss」と耳にするより、「転石苔をむさず」と耳にした方が、やっぱりいいんだよな。
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ま、えぇじゃないか
2006/10/21(Sat)
 酒浸りの一週間を過ごした今日、「『絶好調』なんて言ったのはいつだったかしら?」とひとりツッコミをしたくなるほど、また低迷。
 木曜日、課長に連れられて飲みに行って終電を逃す……という憂き目にあったのが悪かったのだが、それにしてもひどい週末だった。
 失恋したり、終電を逃して会社で一泊したり。全部お酒が原因。いやはやお恥ずかしい。
 しかし、まぁ、それはそれでえぇじゃないか、いい思い出じゃないか、と思うわけさ。
 来週から研修やら出張やらで会社にいる時間が極端に少なくなる。いい機会だから、今月末まで

 1.酒を飲まない
 2.定時に帰宅
 3.笑顔

を心がけよう。
 明るく前向き。だって、それが本来の私でしょう?
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ことば
2006/10/22(Sun)
 ことば。
 漢字で書くと、言葉。ことのは(言の葉)。

 ことばというのは、文字通り葉っぱなのだろうと思う。

 例えば、ある人が今私の目の前に1枚の「言の葉」を置く。そして
「さあ、わかったでしょう?」
 という目で私を見る。
 けれども、私にはそれが全くわからない。たといそれが、どれほど抽出を繰り返され、余分なものをそぎ落として辿り着いた純真な、それでいて真理を見事にいい表した「言の葉」であったとしても、わからない。
 一を聞いて十を知るを知るほど、人は賢い生き物ではない。
 一を聞いて十が解るのは、天才か奇人か、そのどちらかだ。
 だからたった1枚の「言の葉」で何かを伝えることも、何かが伝わるということもない。ならばどうするか。
 10枚なら10枚の「言の葉」を並べるしかないのだ。
 けれども悲しいかな。人は、十を聞いても十を理解しない。せいぜいが二か三を理解するのが精一杯。
 それで仕方なく、私も相手に何枚かの「言の葉」を並べる。
「つまりこういうことでしょう?」
 という目で。
 すると相手は、ふたたび「言の葉」で返してくる。だから、続けて私も、「言の葉」を並べる。
 すると不思議なことに、「言の葉」と「言の葉」の繋がりが見えてくる。繋がるように「言の葉」が並んでくる。気が付くと、ぼんやりと「木」の形が見えてくる。
 それでようやく私は理解する。
「ああ、この人はこの木のことを言いたかったのだな」
 そうやって、相手が語ろうとしていた木の「ねっこ」と「みき」が、つまり、根幹が見えてくるものなのだ。
 会話とはそういうもの。コミュニケーションとはそういうもの。
 一方的に喋っても伝わらないし、ぼんやり聞いていても理解しない。「言の葉」をたくさん並べ、「言の葉」の繋がりをきちんと整理して初めて、相手を理解し、相手から理解されるもの。
 本当に伝えたいのは、知ってもらいたいのは根や幹のこと。「葉っぱ」はその手段にすぎない。それを上手く使いこなせる人が、話し上手な人。
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マンモグラフィー
2006/10/28(Sat)
 『美しさ』でも少し触れたが、どうにも私は横文字が苦手。苦手であるが故に、バカなことも考える。
 「マンモグラフィー」って、音で聞くとエロいよね?
 そんなことを考える私がエロいのか、いや実際エロいのは自他共に認めるところだが、何回聞いても「あら、やだ」と面映ゆくなる。そもそも「マンモグラフィー」ってオッパイを挟む道具だし、やっぱりスケベじゃない?

 先だって午前様をしてしまった日のこと。
 いつもであれば門灯も消えて、家の人が起きているはずもない時間。この時間に帰れば夜が静かで平和に過ぎ去ってくれるから、個人的にはとても好き。(翌朝はしんどいが)
 ところが、帰ってみると門灯の明かりが私を待ち構えていて、玄関前には両親が仁王立ちで待っている。いや、今日は良心に背くようなことはしておりませんぞ、仕事ですぞ、と両親の前で胸を反らす間もなく、
「ちょっと病院調べてもらいたいんだけど」
 と言われ、躊躇した。
 前置きはまるでなし。しかもその当時の私は、だりむくり頻度が目に余るようになってきた頃だったので、焦る焦る。私はまだアル中じゃないよっ!(多分)
 ところが違った。
 妹の胸にしこりがあるのだって。
 何しろ神経が納豆の糸でできているような母親のことなので、
「そりゃ何かの間違いだろうが?」
 なんて一笑に付すわけにもいかず、仕方なしに調査開始。確か翌日が土曜日で、土曜日にも開いている病院を探さなければならなかったのだな。こんな「ど」の付く田舎で「ど」の付く曜日に乳癌を見てくれる病院なんてあるわけもなく、見つけ出すのが本当に大変だった。最終的には慈恵医大に行き、案の定「ただの乳腺炎ですよ」との問診結果。ほら。
 念のため検査するということで、先週マンモグラフィーをうけ、結果が今日返ってくる。それを聞くため、さきほど私を置いてみんなが出かけていった。私はひとりお留守番。掃除も洗濯も私の仕事。ひどい話だ!

 ところでマンモグラフィー。
 あれってさ、オッパイが挟めるほど大きくない人も検査できるのかしら? というのが常々気がかりなこと。
 なぜって、私のオッパイは手で掴むにも難儀するほどこまいので、こりゃ絶対にマンモグラフィーは使えないな、と大真面目に思っている。
 そうしたら妹が、
「あたしのオッパイでも挟めたよ~♪」
 などと抜かす。こちとら更にちっこいんだよ! 喧嘩売っとんのかっ?!
 まぁ、正式な結果はまだだけど、とにもかくにも大事にはならなかったので、良きかな良きかな。

 ちなみにアホな話。
 最初に「マンモグラフィー」と耳にしたときは、何かの動物の名前かと思ったのだよね。ホント。
 動物だとしたら、間違いなくオスだね。
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君が忘れられない
2006/10/29(Sun)
 周囲にエビスが好きな人が多い。どちらかというと、私はエビスよりモルツが好き。そもそも、私をビール党にしたのがモルツだ。生まれて初めて飲んだ別メーカーのビールは最低に不味かったな、と今では思う。
 ところが、プレミアム・モルツよりはプライム・タイム。今、私の中で1番のヒット商品。

 誰にだって忘れられない味、ないだろうか。
 私は、今でもオールドイエローで頂いたビールの味が忘れられない。もうずっと昔のことだけれども、あのビールは本当に美味しかった。それなのに悲しいかな、肝心の銘柄をすっかり忘れてしまっている。千葉では見かけない銘柄だったので、案外地ビールだったのかもしれない。そう思って、那須に行く度に酒屋を回るのだけれども、未だに「これだ!」という商品に行き当たらないでいる。記憶を引っかき回して地ビールの銘柄をひとつひとつ追いかけるのだけれども、どうにも銘柄、味、共に確信が持てないのだ。
 あぁ、もどかしい! 早く愛する君を見つけたいのだよ!
 ビールを飲みたくなる夜ほど、強く思う。
 酒は旨ければ旨いほど良い。あたりまえの話。けれども、それはそれとしても、最近はよく考えるのだ。
 酒の良し悪しを決めるのは、ひとえに味だけではない。
 ひとりで寂しく飲むプライム・タイムよりは、みんなでワイワイしながら飲む発泡酒の方が断然旨いときもある。オールドイエローでのビールも、案外それだったのかなぁ、と思うわけだ。
 ちょっと洒落たペンションの隅で、洒落た家庭料理を堪能しながらグラスを交わす。酒が旨くない、わけがない。
 最近はひとり酒が多くなってきた。たまには気の置けない仲間と、静かに杯を乾かすのも、悪くないな。
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心配しています
2006/10/30(Mon)
 以前に少なからずの交流させていただいたひよこままさんのブログ、ひここまま日記。9月4日を最後にまったく更新されていない。最後の記事が『マタニティーブルー??? 』という記事で、ずいぶんと厳しい様子だったので、なおのこと心配している。
 まだ落ち着かないのでしょうか?
 正直に申し上げて、私は妊娠の経験もないし、出産の経験もない。だから、新しい命を宿すことがどれほどのものかを知らないし、知らないからこそ想像で補う以外何も感じ取れない。だから、ちっとも偉そうなことなんて言えないのだけれども、それでもとても気がかりなのです。
 初産。大変だとは思うけれども、お腹の赤ちゃんのためにはお母さんが笑顔であってくれないと。だから、早く元気になってください。ひよこままさん。
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門出を祝って
2006/10/31(Tue)
 人の一生は重荷を負って遠き道を行くが如し。
 再三「退職、退職」と書いてきた。それくらい私の中では衝撃が大きいということなのか、とりあえず今でも自分の中でこの事実をどう受け止めていいものかと思い悩む毎日でいる。泣くべきか、泣いてもいいものか。そうやって思い悩んだ末に、笑顔でいるのだろうなぁ私は。
 だからいつも「ドライ」な人間だと言われて終わる。違うんだ。泣いたら際限がないから、泣かないように努力するんだよ。本当はメチャクチャ涙もろいんだから。
 心情を吐露した瞬間に崩れるのがわかっているから、酒の席でも本音は漏らさない。Y永さんは私のことを誤解しているし、きっと誤解したまま去っていくのだろうな。
 寂しいけれども、まぁそれも仕方がないな、と思ったりする。
 Y永さんの出社は今日で最後。夕方に最後の挨拶をすれば、翌朝はいない。
 留まるのも重荷、進むのも重荷。留まれば、行き先を見失った旅人のように思い煩うし、進めば先の見えない道に戸惑いを覚える。どちらを選んでも、「これで本当にいいのか」と確信の出ない問いを繰り返すもの。
 それでも一歩を踏み出すのは、それが正しい道だと信じるしかないから。未知の道だから、可能性も満ちているから、進んでみようとするのだものね。そうやって自分の「道」を模索していくY永さんを、応援するしかできないのだなぁ私は。

人の一生は重荷を負って遠き道を行くが如し
急ぐべからず
不自由を常と思えば不足なし
心に望み起こらば困窮したるときを思い出すべし
堪忍は無事長久の基怒りは敵と思え
勝つことばかり知りて負くるることを知らざれば害その身に至たる
己を責めて人を責めるな
及ばざるは過たるより勝れり。


 頑張れY永さん!
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