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第2章完結
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2006/09/30(Sat)
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裏で地道にこっそりと進行している『ボクの世界の物語』も、9月30日をもって2ヶ月(第2章 お母さんの秘密)目が終了した。
この頃になって、ようやくやりたいことが見えてきて、どうにか「日記」らしく進行し始めているのが嬉しい。あったことを書くより、なかったことを書く方がやっぱり面白いのかな、と思う。 キャラクターも段々確立してきた。 ダイちゃんやよっくんにいじられるボク。 スポーツ万能なのに、ヲタなダイちゃん。 ヲタにするつもりだったのに反抗している秀才のよっくん。 姉貴肌のシズちゃん。 ……この辺りはもう確定かな。当初重要キャラだったはずのフシギさんもハテナさんも、いつの間にか脇の人。アイちゃんはどうしよう。実は扱いに困っている(おい)。 謎の扉や、ボクの秘密はまだ明らかになってはいないけれども、こちらは追々書くとして、10月(第3章)もまだ学校ネタで続く予定。宜しく。 ところで、今日も出てきたダイちゃんのオタクっぷりをふまえて、若干の補足。 ● ひぐらしの鳴く頃に これはかなりハマる。きっとオタクでなくても、ハマる。 ショート・ストーリーの集合体なのだけれども、前半は「萌え系」、祭りを間に挟んで、後半は「ホラー系」。これがかなり恐い。ここ最近観たホラー映画より断然恐い。 しかも、キャラクター同じ、時代時間も同じなのに、結末の異なるストーリーが何話も重なって続くから、なお、恐い。エンドレス、きゃあ。 …お試しあれ。 ● しにがみのバラッド。 これは気になっているのだけれども、まだみたことがないアニメ。誰かDVD貸して!! ● ドクター・フー これはアニメではなく、海外ドラマ。 ありえないくらいくだらないのだけど、とりあえずハマる。このバカらしさが好きだ♪ 最近のドラマでは1番のヒットだね! ひと言では説明できない。 NHKのBSで放送しているので、見るべし。 そんなこんなで、10月以降も『ボクの世界の物語』は続く……。 |
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伸ばすこと、諦めること
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2006/09/24(Sun)
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身の丈にあった生き方。
よくそんな言葉を耳にする。過度の贅沢はちょっとね、なんて意味で使っているのだろうけど、時折この言い方が疑問に思うときもある。 身の丈って、なんですか? 私の身長はギリギリで159cm。身の丈にあった服を着ようと思えばMサイズがちょうどいい。けれども、時にはLサイズを身にまとうことだってあるんだよ。どうしてかっていうと、ゆったりしたいときもあるからさ。時にはSサイズだって着るんだよ。そんな気分のときもあるからさ。 身の丈にあった生き方。 毎月の食費、光熱水費を除いた残りが、私の贅沢費。大好きなお酒を飲んで、ちょっと服でも買って、すっからかんにしてしまう。これが私の生き方。 でも、これが私の身の丈にあった生き方かと言われると、何か違う気がする。 同じお給料もらっている人は、車を買うためにこつこつ貯金をしている。 馬に費やしている人もいる。 今話題の消費者金融に世話になっている人だっている。でも、暮らせていないのか、と言われると案外そうでもない。 かと思えば、一切の贅沢をしないで溜め込んでいる人もいるしね。 それぞれがそれぞれの生き方を選んでいる。もちろん、お金のことだけでは無しに。 私は営業やりたくて入社したのにSEになってしまったけれども、夢叶えて営業やっている同期は毎日外回りを頑張っている。 頑張っている人もいる傍らで、会社を卒業していく人もいる。 ある人は今、放射能の研究をしているし、ある人は会計士目指して勉強中。ある人は、つい先だって福祉の仕事がしたいと学校に通い始めたらしい。これも、生き方。 でも、身の丈にあった生き方なのかと言われると、どうなのかな。 だって、みんな背伸びをしたくてそれを選んだのだからね。だからみんな「辛い、辛い」と言う。けれども、必死になってしがみついているんだよね。 本当はもっと楽な生き方だってあるはずなのに、頑張るんだ。 「本当にこれでいいのかな?」 なんて思いながら。 「でも、もっとちょっと違うのがあるんじゃないかな?」 なんて思うから。 私は159cmで満足ですか? いいえ、不満足。本当はもっと身長が欲しかった。せめて160cmは欲しかった。だから、ちょっとでも背が高く見えるように工夫をする。 今の仕事で満足ですか? 不満足です。本当は営業がしたかった。その思いがぬぐえない。SEの仕事は辛いけど楽しい。楽しいけれども、入社当時の思いが行き場もなく彷徨っている。 本当にこれでいいのかな? 与えられた仕事、与えられた任務。その枠の中で頑張っていくことも大切。多分、その囲いの中で生きることが身の丈。 でも、外に飛び出してみたいと思う時もある。 ここでいいや、って思ったら成長しないんじゃないかな。少なくとも、私はまだまだ成長していたいんだな。 今はまだSEをやっていたいけれども、それでも、いつか……。 |
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歌わないことは本当に自由なのか
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2006/09/23(Sat)
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不思議な地裁判決が出た。
「君が代」を斉唱しなかった都の教職員に対して為された懲戒処分は、「思想良心の自由」を侵害するから違憲、というもの。「あれ?」と思った人は、私の他にもいるのではないかしら? ◆ そもそも、「日の丸」と「君が代」を“悪”であると思うことは自由なのか。 これは完全に自由。なぜなら、「思う」ことというのは内面にとどまった行為であって、そのことを理由に誰かに迷惑をかけたりはしないから。 例えば・・・私は今、あることを考えています。さぁて、何を考えているでしょう。・・・と、そんなことを問いかけても、答えを言い当てられる人はいないはず。今の私が考えていることなんて、誰にもわからない。誰にもわからない所で何かを考えていたって、そんなことが誰かの迷惑になるはずがない。 だから自由。 「日の丸」は悪いもの、「君が代」は悪いもの、と思うことはその人の自由。「日の丸」も「君が代」も好きですよ、と思うこともその人の自由。これが「思想良心の自由」というもの。 ◆ では、「日の丸」を掲げず「君が代」を歌わないことは自由なのか。 これは難しい。けれども、これも自由。 言いたいことも言えず、したいこともできず、言いたくないことを言わされ、やりたくないことをやらされる。こんな社会は民主的ではないよね。 みんながみんな、「右向け右」のイエスマンだったら、なんて退屈で窮屈! 私たちに「思想良心の自由」があるのであれば、思っていることを言うも自由、行動するも自由、逆にしないも自由でないとダメ。これが「表現の自由」。 だから、「日の丸」は悪いもの、「君が代」は悪いものと思っている人が、「日の丸」を掲げず「君が代」を斉唱しないのは自由のはず。 でもちょっと待った。「表現の自由」って無制限に認めていいものだっけ? 禁煙席で煙草を吸うのは自由ですか? 真夜中に大音量で音楽を聴くのは自由ですか? お店で、お金も払わずに商品を持って帰ってしまうのは自由ですか? 禁煙席で煙草を吸ったら、煙草の煙が苦手で禁煙席に座っている人に迷惑がかかるでしょ。真夜中に大音量で音楽を聴いたら、眠っている人に迷惑がかかるでしょ。お金も払わずに商品を持って帰ってしまったら、お店の人に迷惑がかかるでしょ。 「思想良心の自由」と違って、「表現の自由」は外に現れるものだから、誰かに迷惑をかけることもある。迷惑をかけないように、我慢しなければならないときもある。わがままは「自由」ではない。「表現の自由は」、そういった制約の中で初めて、「自由」として花開くもの。 問題なのは、「日の丸」を掲げず「君が代」を歌わないことで、誰かに迷惑をかけるのかどうか。 一般社会であれば迷惑なんぞかけないのだろうが、それが「学校」という教育の場であったら、少し事情が違うはず。「学校」とりわけ「小学校」「中学校」という場所が、成熟した「おとな」ではなく発展途上の「未来の可能性」を相手にする場所であればこそ、事情が異なってくるはず。 学校は「勉強」だけを教える場所ではないよね。いずれ社会の中に溶け込むために、大きな社会の「規律」を学ぶ場でもあるはずだよね。そして「学校」もまた小さな「社会」であるから、その小さな「社会」の一員である人は誰でも、その「規律」を乱してはいけないはずだよね。 授業に遅刻した生徒は叱られるよね。だって、みんなが授業に遅刻したら、「授業」が成り立たなくなってしまうものね。だから、授業に遅刻しないことが「学校」の「ルール」なのだよね。 みんながみんな「君が代」を歌わなかったら、卒業式も入学式も「式」として成り立たなくなってしまうよね。「君が代」を歌うことがその学校の「きまり」だったらなおさらだよね。 「君が代」を歌おうとする人も、歌いたくない人もいることは否定できない。けれども、生徒に範を示すべき「おとな」が、だからといってワガママを言っていいものかどうか・・・。 「君が代」の“意味”をここで云々する気はないけれども、仮に「君が代」にそれだけの重い“意味”があったとしても、「君が代」を歌わない「おとな」を見て生徒はどう思うのだろう。 「あ、先生も真面目にやってないや。だから自分じゃサボってもいいわけよね」 なぁんて安直に考える生徒もいるんじゃないかな。「おとな」たちは、歌わない意味を真摯に生徒に説明できるとは思えない。たくさんの「おとな」が寄り集まっても解決できない問題を、諭したところでそれは単なる「思想の押しつけ」でしかない。 「日の丸」を掲げず「君が代」を歌わないことは自由。どうぞご勝手に。けれども、苟も教師という立場であるならば、自らの信念以前にもっと大事な役目を背負っていることを、意識するべきではないのかな。 ◆ 最後に、「日の丸」を掲げず「君が代」を歌わなかった都の教職員は懲罰の対象なのか。 これも難しい。けれども、私は「対象になる」と思う。 その心は、「公」務員は、良くも悪くも「行政」の担い手であるということ。「行政」の顔であるということ。「行政」であるから、法に縛られるものだということ。「行政」であればこそ、そこには統一性が求められるということ。 警察官には労働権が一切認められていない。憲法が保障しているにもかかわらず、労働三権がない。なぜなら、警察官がストを起こしたら、その間に起こった犯罪を誰も阻止せず、社会が乱れてしまうから。だから、「警察官に労働権がないのは憲法違反だ!」と叫んでも、認めてはもらえない。労働権を回復したかったら、一般企業に勤めるしか他に道はない。 前に述べたとおり、教師の勝手は「学校」の規律を乱すことに繋がる。それを都が抑止するために「通達」で強制したら、「公立」の教師には従う義務が出てきてしまうのは仕方のないことではないのかな。 私なんかが思うのは、それは「学校」の中だけでの決まりなのだし、学校の中でだけ我慢していればいいじゃないの、と感じるのだけどね。それがどうしても嫌なら、「公」の立場を離れて「私」学の教員にでもなった方がいいのではないかしら? もっとも、歌わなかったからと言って「停職」という処分はいくらなんでも重すぎないかなぁ、と感じるのもまた事実。 ◆ とまあ、長々と書いてきたけれども・・・・ そもそも論で「日の丸」と「君が代」を見て、私は「イコール戦争」とは思わない。それは、私が単に戦後生まれで戦争を知らず、平和を享受している世代だからなのだろうか。 ちなみに、「日の丸」の起源は、古くは鎌倉時代に見え、江戸末期になって幕府が本格的に使い始めたものらしい。明治政府が最初に使ったわけではない、というあたりがミソ。 「君が代」に至っては『古今和歌集』に納められている恋の歌。当時は「恋人」を表していた「君」だけど、問題になっている時代では「天皇」のことだったかもしれないが、祝いの席では「新郎新婦」のことだったりもしたようだ。それだけ愛されて詠まれてきたものだったということか。 だから、思うんだ。 だってそれ以前から日の丸が日本の旗だったのだもの。戦争中だって掲げたに決まっているでしょう。 だってそれ以前から愛されてきた歌なのだもの。戦争中だって歌われたに決まっているでしょう。 ひとつの断片だけを捉えて、「全体が黒い」というの、おかしいよね。人が、もっと高い所から広くを見渡せる心を持っていたら、こんな狭くるしいところで、こんな小さなことで目くじらたてないと思うのだよね。 私はオリンピックで「日の丸」が掲揚されたら嬉しいし、「君が代」が流れたら誇らしいと思う。けれども、「勝訴!」の旗を掲揚した人たちはどうなのかな。もしかしたら、喜ばないのかな。そもそも、オリンピックなんて「偏狭なナショナリズムの・・・」なんて思ってらっしゃるのか。 |
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無駄な時間
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2006/09/17(Sun)
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秋の長雨が続いて、めっきり涼しくなってきた。こうなってくると冷たい飲み物よりは、温かい飲み物が恋しくなる季節。私の家でも、今までは朝食に冷たい麦茶かウーロン茶しか飲まなかったのが、気付けば温かいお茶がでるようになっている。お茶と言えば、それは当然「緑茶」のこと。
お茶の美味しい季節になった。 健康志向の高まりで、緑茶の成分が様々に注目を集めていることは確か。発ガン抑制作用から口臭予防まで種々の作用があるカテキン、ビタミンC、ビタミンDにフラボノイド、カフェイン、βカロチン、γアミノ酸、フッ素・・・と、色々と健康にいい成分が含まれている緑茶。けれども、緑茶が健康にいいのは、単にそれだけのことだからではないはず。 朝の忙しい時間。それでも、温かいお茶は一気には飲めない。時間をかけてゆっくりと飲む。時には何かをつまみながら、時には誰かとお喋りをしながら。 少なくともお茶を飲むためには、お茶が飲めるだけの時間が必要。お茶を飲むための時間を作るということは、それだけ心に余裕とゆとりが生まれるということでもある。 心にゆとりがあるということは、それだけ緊張感・ストレスから解放されるということ。忙しい朝はお茶を飲んでいる時間が「もったいない!」と思えることも多いけれども、そんなキリキリした毎日じゃ体調だってオカシクなっちゃう。 だから、いいものを摂って、いい時間を過ごして……。時には無駄にぼーっとするのも悪くない。 ☆ 参考 ☆ お茶・静岡茶と健康(by お茶の牧農園) |
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雨が降ったら
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2006/09/08(Fri)
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霧のような雨に降られると、傘をさそうか、さすまいかに迷う。さすほどの雨ではないのだけれども、ささなければ、しっとりと濡れてしまう。特に折りたたみの傘しか持っていないときには後の始末が面倒なので、ささずにすましてしまおうかと思い悩む。
雨が降ってもさされない傘。そんなとき、私はいつも『おじさんのかさ』を思い出す。 おじさんの自慢の傘。雨が降っていなくても、毎日持ち歩く。雨が降ってきたら、傘が濡れないよう軒先で雨宿り。雨がやみそうにないときは、見ず知らずの人の傘に入れてもらう。絶対に使われない傘。 ある日、小さな男の子が公園でおじさんに話しかける。雨が降ってきた。「その傘に入れてよ」 けれども、おじさんは知らん顔。すると女の子が男の子を迎えにやってきて、2人で1本の傘をさしながら帰って行く。歌いながら。それを聞いたおじさんが、とうとう自慢の傘を使ってしまう。歌いながら。 「雨がふったらポンポロロン、雨がふったらピッチャンチャン」 そういえば私も、どうせ降るなら傘に当たった雫が太鼓を叩くくらいの雨が好き。しとしと降る雨でもなく、ざーざー降る雨でもなく、ちょうど「ポンポロロン」と降る程度の雨。 さて、霧の中を傘をさして会社に向かいはしたが、またしても私は傘の扱いに困っている。小さすぎて傘立てには置けず、かといってロッカーにおいておくのも、いかがなものか。 |
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気持ちも新たに
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2006/09/03(Sun)
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4年ぶりくらいで、髪をカールさせた。いつものシャープな髪型からのイメージチェンジ。ちょっとは女の子っぽくなろう、なんて24才にもなって言うセリフじゃないけれど、ま、いいか。
9月。 だらけた夏はもうおしまい。気持ちを引き締めないとね。 プロジェクトはこれからが正念場だ。この詳細設計を誤れば来年の夏はない。 11月には自己啓発の試験がある。これも絶対に外せない。何が何でも合格してみせる。 色々な意味で、タイムリミットは刻一刻と近づきつつある。ぐずぐずできない9月。 時間の使い方、モチベーションのあげ方。 緊張感と、新鮮な感覚をもって、乗り切ろう。 |
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小心者です
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2006/09/02(Sat)
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転居をしたので、今月から通勤ルートが変更。当然、定期にかかる値段も変更になる。その値段を調べていて目眩を覚えた。片道が「野口五郎」レベルなので、それを定期にすればそれなりの「福沢諭吉」が飛んでいくのはわかっていた話なのだが、いくらなんでも……。
会社から通勤代が支給されるとはいえ、大金持って駅の券売機へ向かう勇気なし。 おまけに、会社から支給される通勤費は半年定期代だというのが悩ましい。 半年分買ってしまおうか。けれども、紛失したらどうしよう。 損を覚悟で1ヶ月分にしておこうか。けれども、そこまで私の財布は潤っていない。 悩みに悩んで3ヶ月定期にしたのだが、それでも「あー」と思っている小心者は私。 |
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